御神徳・神戸分祠 由緒

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主祭神 大國主大神

「大きな袋を肩にかけ だいこく様が来かかると ここに因幡の白兎 皮をむかれて赤はだか ♪」

「だいこく様の言うとおり きれいな水で身を洗い 蒲の穂綿にくるまれば 兎はもとの白兎 ♪」

「だいこく様は誰だろう 大国主のみこととて 国を開きて世の人を 助けなされた神さまよ ♪」

 

出雲大社の御祭神 大國主大神 ( おおくにぬしのおおかみ) 様 は「 だいこく様 」としても親しまれております。奈良時代に編纂されました「古事記」「日本書記」 など多くの文献にも見られますように 「国造りの神」「縁結びの神」「福の神」「商売繁昌の神」「医療・医薬の神」「農耕の祖神」「温泉の祖神」「醸造の神」「国譲りの神」「幽冥主宰大神(かくりごとしろしめすおおかみ)」として太古より人々の信仰を集め 敬愛されてまいりました。多くの御神名をお持ちになり数々の 御神徳 大御力 をお持ちになる神様です。

神戸分祠 由緒

「年の始めの例(ためし)とて 終わりなき世のめでたさを 松竹たてて門ごとに 祝(いお)う今日こそ楽しけれ ♪」

 「初日の光さし出でて 四方(よも)に輝く今朝の空 君がみかげに比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ尊(とお)とけれ ♪」

 

「一月一日(いちげついちじつ)」を作詞なさったことでも知られます 千家尊福 公。 

出雲大社 第80代出雲國造、出雲大社教の初代管長であられます 千家尊福公は、明治の時代に日本全国津々浦々まで御巡教されました。尊福公は、神戸にも御巡教にお越しになられ、人々に出雲様信仰を広められました。明治28年(1895年) 現在の地に神戸教会所が開設され、大國主大神様の御分霊が鎮祭されましたのが神戸分祠の始まりです。

 

昭和13年7月5日、阪神大水害により神戸教会所は天井まで浸水。教会建物は壊滅的な被害を受けました。しかし、多くの教信徒の熱意により 昭和15年(1940年)現在の総檜造神殿が再建され、第3代管長 千家尊有公の御巡教を戴き大教会(分院)に昇格しました。

 

翌 昭和16年大東亜戦に入り、空襲により神戸の街の8、9割まで焼失したる中、神戸分院は奇跡的に焼失を免れ、その上、町内より戦死者が出ず当時の町内会長は「出雲様の御守護によるものである」として町民を引率して 参拝に来られた事 度々でありました。東は尼崎・大阪、西は明石まで焼け野原でありました。 終戦より5年後の昭和25年 分祠に昇格しました。

 

神戸分祠 創立百年目にあたります  平成7年 1月17日未明に発生しました 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)では、震度7の激震に見舞われました。神社建築の特徴である木組みの、釘を使わない工法の神殿は、組み木部分が外れ土壁が倒壊、瓦屋根は全てずれ落ちましたが、奇跡的に倒壊を免れました。

大國主大神様の御加護を戴き、多くの教信徒の方々に支えられ、幾多の困難の歴史を乗り越え 神戸分祠は今日に至っております。出雲大社の分祠を、祈りの場として この神戸の地に末永く伝え、残していく。大神様の大御力は より多くの方々の真摯な祈りによりまして更に強まり 大いなる御加護が戴けるものと 古来より言い伝えられております。より多くの皆様方のお詣り 心よりお待ちしております。

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